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ブログバッチフラワー ・ 2026.08.06

広島の原爆に関わる事で書き残したいこと。

昨年の今日8月6日にFacebookに投稿させていただいた内容を書き写しました。

毎年広島に原爆が投下された日に、憤りのない悲しみや怒り・苦しさが心の底よりこみあげてくる。この気持ちをどうしたら良いのだろうと考え抜いて、私一人の投稿では、何も変わらないかもしれないけれど、思ってきた事、私の記憶から消したくない事を残して行こうと毎年Facebookでシェアしてきました。

今年はブログに残そうと思います。

少し長い内容ですが、読んでいただけると幸いです。

 

過去、私🟰吉野銘木梅田(前職)で過去投稿したタイムラインのコピーです。

今年も8月6日黙祷させていただきました。

今年初め、ある内科にて、血液検査で白血球が少ないと指摘され、思い当たることはないですか?と言われたので、弟も少ないです。幼い頃より感染症に弱いです。もしかしたら、下記のようなことが関連するかもとお伝えしたら。。

ありえませんとバッサリ切られた上に、完全否定、不用意にそんな事は発してはいけないと熱弁が始まり、、熱弁は止まらない。私は先生と論議する事を望んでいませんし、事実は事実、私は血液検査にも出ているように色々と苦しんで来たんです。もうこの話は辞めましょうとお伝えしました。

意味の無い熱弁。何を証拠に言えるのだろう。現代医学では原爆手帳がなければ、全て関係のないと言い切ってい良いという事だろうか。少しでも寄り添えて頂けない先生の病院には通えないな悲しいなと魂が思ったわけでした。

 

原爆に関わる事で書き残したいこと。

昭和20年8月6日広島に原爆か投下された。母方の祖父がその次の日呉から爆心地を通り歩いて山口県の自宅に帰った。

母は、当日爆音と光と共にキノコ雲が出たのを自宅から見たと教えてもらった。ピカッと光ってドンと鳴り響いたらしい。

そして爆心地を歩いて帰ってきた祖父(母のお父さん)を迎え、足を洗い服を脱がし背中を流し、その服の洗濯をしたのは母でした。

 

その話を聞いたのは、61歳の母が急性骨髄性白血病でなくなる直前でした。もしかしたら、その時に被爆したのかも、お姉ちゃんごめんねって言い残して。

祖父は原爆手帳を持っていて私が25歳くらいの時に白血病で亡くなりました。母はもちろん手帳は持っていません。

私は長女として生まれ、幼いころより体が弱く度々感染症での入院で死にかけたり・腎臓が弱く10年患ったり、幼いころ一時期すごい湿疹で顔が腫れ上がったりもしていたようです。大人になるにつれ徐々に健康になりましたが、相変わらず感染症には弱いです。

次女は生まれてすぐ亡くなったそうです。母はかなり悲しんでいたようですがその後お正月になすびの夢を見たと、そして玉のような妹が生まれ健康優良児として表彰されました。その時の母の喜び方は凄く、何も知るべしもない私はなぜそんなに嬉しいのだろうか?と疑問を抱いていましたが、母がひた隠しにしていた、もしかしたら原爆の3次被爆ではないかという不安や恐れや疑惑から一時的に解放されたのかもしれないと後になり思いました。

私は子供がなかなか授からず、やっとできたのは結婚後10年目、健康になり元気になってからです。

そして、私の娘が高校生の時に急性骨髄性白血病になった時に、傷ついた遺伝子は受け継がれて行くのかもと思いました。今は現代医学の治療で良くなり子供にも恵まれています。

母の時も娘の時も、何らかの原因で傷ついた遺伝子があり発症したといわれ、原爆との関連性は不明と言われましたが、こんな偶然ってありますか???

事実は事実。これからもこのような苦しむことが人々に起きないように戦争反対・原爆反対! 

平和な世の中が当たり前になる日が来ることを祈るばかりです。

 

とても健康だった母と娘が突然急性骨髄性白血病を発症した時

共通したネガティブな感情を抱いていました。

同じ遺伝子を持つ一卵性双子の娘達

何故一人の娘だけ白血病になったのか、

あの共通したネガティブな感情が原因だったのではと

気付いた時に、バッチフラワーレメディに出会い

自然の野花でネガティブな感情をポジティブにしていく

この療法に惹かれて行った私でした。

 

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